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  • 14:11 AMIRA
  • 2015年10月8日
  • 読了時間: 4分

通ぶりたいだけの者は、自分のジャンルすらままならずとも

通っぽいなと思われる人のジャンルや作品の傾向を安直に真似したがる

同じジャンルを取り入れれば、自身も同じ立場になったかのように悦に浸れるのであろう

そういった者達は、自身と他人の歩んできた道が異なるっていても見境がない

嘘をついてまで通を気取りたくて仕方がない様子

どこまでも記憶改竄をするので、虚実入り混じっており

本人も、「昔から知っていた」を自分に対して刷り込もうとするので

嘘であっても、本当の事を言っている気になっている者も見受けられる

いつジャンルや作品を好きになるなど、人によって違う。

問題は、何故知っていたかのように振舞おうとするか、ということ。

上っ面を固めて他人に対し、「〜も知らないのか」を言いたがるのも特徴のひとつ。

そこに至るまで、共に歩んできたものなら分かる

「そのジャンルが世間に対しどのようなポジションで、どう接してきたか」

....の感覚が分かっていないのだ。

が、そもそもの「蓄」がまるで違うので無理もない。

どこへ行っても何をやっても所詮浅く終わる。今までの研鑽がまるで伴っておらず、

またそれを後付けで知っていたかのように必死に振舞おうとそこには一線がある。

研鑽・蓄によって、自身の内側から自己を形つくってきた者と

見栄えの良い型(カタ)を探しそこに己を納めて自己の形とした者と。

内側から形を得た者と、外側の型だけ身にまとった者は、残念ながら同じではない

また、そういった型からできたいわば「同じ装束を纏ったに過ぎない部外者」が

外部と問題を起こし、その罪を前から居た者になすり付けて逃げていく場合もある

とんだ厄介者である。

また、こういった意見を目にすると、

ピタッと言わなくなったり、対抗・自分を正当化する意見を探そうとする

人の言葉など正しいか否かに限らず、いくらでも上書きする事ができるのだ

主張の正当性ではなく、自分に都合が良いかどうかでそれに同調する者もいる。

ケチをつけたいから、上書きをする。誰にでもできる簡単なことだ。

内容が甘いと、反感を買う可能性が高くなるが、その内容に関わらずとも上書きされていく。

見る者のご機嫌をとっていれば、そうなることは少ない

もっとも、見ている側はご機嫌取りされているなど気づいてもいない

都合の良いことは盲目に。悪いことには何としても否定しようとする

...のが一般的であり、楽な対応の仕方でもあるからだ

実際広い視野で見て自身に関係のない事であっても、

間接的にでも「自身が文句を言われている」と被害妄想すれば、食ってかかれる

そういった人物は、どこかに自身が「被害者」を気取れるネタはないかと探している

何が書かれているのかではなく、「どうやって文句をつけてやろうか」

で文を読んでいるのである。実に安直に、そこだけに目がいくのであろう

上に付随して、私の周辺の話。

「リアタイで見てたけどこれめっちゃ面白かった〜」←その作品のリアタイは10年以上前。

3年ほど前にその話をしても全く知らなかったという変えられない事実。

脳みそだけタイムスリップでもしてきたのでしょうか?^^

「原作以前に映画すら見た事ない」→

「原作も出た時から買ってたから、映画館で見ちゃった」←?(笑

急にそういった「私も懐古厨でーす」を始めたのは

私がそういったスタンスを、近頃目に見えて露わにしているからですね。

閲覧の記録も残っていました。

他に理由を付けて貰っても構いませんが、その信憑性について徹底して調べてあげましょう

口から出た言葉は戻っては来ないし、「知らなかった」という過去も変えられない

変える必要はなくとも、身の丈以上の自身の虚像を作り上げている

こういった行動をしている3人は、そこから以下の共通点が挙げられる

「あ〜あれか、○○でしょ」と知ったかぶりたいだけで、まるで中身も伴っておらず、

ジャンルについて有り合わせの情報で「私もこの一員でーす」をアピールする事が目的の大部分

そして実際自身の積み上げてきたものより、

人の活き活きと語るジャンルが気になって仕方ない為に

より多く・深くに対し知見のある者の考え方や、ジャンルの傾向に寄生するのである


 
 
 

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