あくまで私の場合
※BBSでいただいた質問に対する回答をまとめました!
・面白いってどの段階で決めますか?
・レビューを見て買わない事とかはありますか?また、レビューについてどう思いますか?
・世間的に面白くないと、言われている物はやっぱり面白くないと思いますか?
・作品の題材とされるもの(元ネタや)と忠実でなかったり、そぐわない物は嫌いですか?
そういった人はどう思いますか?
・意見の合わない人への対応はどうしてますか?
といった内容のもの。上から順に、連ねて一文に答えます^^
まずは「自分で」見て、やってみて決める
面白いかどうかは人の決める事じゃないし、人それぞれ考え方・感じ方も違う
ただ、レビューに関しては多くの人の意見の中にも共通するものがありますね
そういった意見は、良し悪しに関わらず、人々が同じ感想を抱く理由があります。
多くの人が見てそう感じる傾向にあり、
そして、自身も同じ感想を抱く可能性が高い、ということでもあります。
(※確率は収束する、とかの話じゃないよ!)
例として、数多くの人が駄作だと言うならば、
残念な事に、実際に駄作と捉えられるだけの理由があったりもします。
なので、レビューを購買の判断基準にする...という
早い段階にて見切りをつけてしまう事も、人によっては賢い選択となるかもしれません
※''駄作''という言葉を使っていますが、話を飲み込みやすくする為に用いており、
その表現自体、好ましくは思っておりません
また、大体の事柄に対して良い・悪いの二極化ではものを考えておらず、
黒と白だけでものを見ずに、
その間にある幅広い灰の層も視野に入れる事におもきを置いております。
私自身は、人の意見は心の隅に留める事はあっても、
人が決めた事をそのまま鵜呑みにしないタイプです。
(疑り深いかな〜とも思うし、決して「良い」と言っている訳ではないよ!)
レビューに慣れ過ぎてしまうと、そこに信頼を置く人も出てきます
さらには用心深くなって「失敗」しないように、他人の感想を見てから行動に移す
他人の感想によって、初めから駄目だと決めた人の中には、
その感想が根付いてしまい、自身も否定をする際に
「悪く」言われていたところを「悪く」言う事しか出来なかったりする
感想を書いた人は、「悪い」箇所が「良い」箇所よりも抜きん出て感じたので
最終的に「悪い」と書いたのかもしれない
するとその「良い」と感じた部分は、経験できなくなってしまうかもしれない
基本、そう考えています。それに基づいた行動を取っていると思う
ゲームを買うときなんかもそう。人のレビューからは入らないようにしている
「ク○ゲーww」と言われていても、その感想はその人が抱いたもので、
実際プレイしたら自分にとっては面白く感じるかもしれない
仮にク○ゲーと言われているから、買わなかったとして
私にとっては神ゲーとなった可能性すらある、そうするとひとつ経験不足したことになる
自分の中の条件が厳し過ぎると、多くのものがつまらなく見える
その条件で自分の感性を縛って、あれもこれもつまらない...って感じるようになったら
それこそ、つまらない人間じゃないかな...。言葉は悪いけど。
自分から楽しむ事をやめてしまった...と言うと、なんか違う気もするが。そんな感じかも?
よく思っていなかった人をも作品の魅力に巻き込んで、「素晴らしい!」と
賞賛されるものが、本当に凄いのかもしれないね。当たり前かも...ですが
アレンジが効いていれば、あ、これも良さげかもしれん...って思うし、
忠実であるかどうかにこだわらずとも、面白いものはたくさんあるよ
こだわり過ぎると、視野を狭めたり、
自身の感性を限定的で貧しいものにしてしまう場合もある
オールオッケー何でも来いや!と、逆にこだわりがなさ過ぎても、
自身の主張を上手くまとめられず、人物像としてもあやふやになってしまう事もあります
そしてそれが必ずしも、広い見識を持つことに繋がる......とは限りませんね。難しい...!
一貫した主張を通すべき時も勿論出てきます。
そういった時にしっかりと「自分はこうなんだ」と主張ができないと
ブレた人だな...と思われてしまうかもしれません。
気になってしまう条件に、さりげなく折り合いをつけてみると、
「全然いけるじゃん!」なんて事もあるでしょう。
だからと言って、無理してチャレンジする事はありません。要するにバランスの問題かも
題材やテーマに沿う事を必要とされている場合であれば、
(公式などからの「原題に沿わなくては、公表してはいけない」等
全くないとは言いませんが、あまり聞かない話でしょう。)
「どう考えたって沿わないとマズイ」のその大部分は見た人が感じた事です。
そしてその意見を持つ人が多ければ、
疑問すら持たずして、それが正しい考えなのだと自分に言い聞かせる事もできますね。
突き詰めてお話をするならば、
忠実である事を大前提にして、作品の良さを推し量っている人も居るけど、
あ、私とは考え方が違うんだ。って思って特に追求はしないかな。
忠実であるかどうかを問われていない場合、
作品に対する補正値みたいな感じなんだよね
で、その補正値は、作品として面白いか、そうでないかの決定打にはしない。
面白いかどうかは、作品単体として見て、その上で忠実さや正確さを用いてみる
「感想」と「比較」を下手に混ぜ合わせてしまうと、作品の持つ意味とは全く違った
個人の主張を正当化したいだけの、ちんぷんかんぷんな意見が出来上がってしまう
※付随してちょっと前の話を出すと、作品の感想と言うには
あまりにも個人の考えに偏ったものも、レビューに含まれている事もあります。
私にとっては、面白いかどうかの判断材料としては、重要ではないです。
私は自分の考えに沿って、主張する
その人にはその人の思うところがある
意見が食い違う事なんていくらでもあります
食い違ったから、相手は「悪」という事でもありませんね
大切なのは、合う合わないという事ではなく、
自身とは異なる意見に対しての許容範囲を知る事と、
相手側のどういった目的での主張かを内容から察する事。
まぁ、人の頭の中は見えないので、そこが難しく感じるのかもしれませんね...
そういった事を踏まえて、お互いが勝手に主張している分には構わないのだけれど
主張を主張で上書きしてこようとしたり、
題材が正しいかどうかの討論をしていないにも関わらず
「これが正しいんだよ。それは間違ってるからこうしろよ」
と言われれば、あまり気分の良いものではありませんね...。
間違っていると感じて不快であれば、
本人がそういった行動を取らない・見ないようにすればよいのです
また、そういった態度を明確に示した人に、
意見を無理に押し付ける人は居たとしても少ないでしょう。
そっぽを向いている他人に狙ってボールをぶつけたら、当てた方に問題があります
それでも投げてくる人は、ごく少数の変な人です。
また、「好きか否か」に対し「正しいかそうでないか」で返してくる人もいます。
いささか妙な返しだとは思いますが、
後々それが間違いであったとして、「正しい」とされるものに簡単に乗り換えるのでしょうし
あまり気にする事はないと思われます^^
意見で意見を潰そうとして、得られるものなんて虚しいんじゃないかな?
その考えによって誰かに危害や迷惑を加えるものでないのなら、
誰がどんな意見をもっててもいいと思うけどなぁ...
↑これも私の考えであって、誰かにこう考えなさい、と言っている訳ではないよ!
自身にとっての主張する理由がない場合でも、意見・考え方同士を
争わせるのが好きなだけの人も居るので、苦手な場合はお気をつけください
疲れちゃうからね〜
「私はこう考えている」という意味の記事であり、質問への回答です
「それは損だから〜しなさい」「こう振る舞いなさい」「こう在りなさい」
という事ではありません。人の意思や考え方を束縛する権限も意思もありません
長々となってしまいましたが、お付き合いくださった方、ありがとうございました^^